鬱回復したからNPOで頑張ってみた

小中高不登校→うつ発症→高校中退→回復→NPOで活動中の18歳が生きてて良かったと思う日々について書いてみた。

「すること」をぽくぽく見極める

先日、pha(ファ)さんの「しないことリスト」を拝読いたしました。

 

しないことリスト (だいわ文庫)

しないことリスト (だいわ文庫)

 

 

個人的に、日本(の都会)は忙しいことを推奨するような風潮が強すぎると思うのですが、やっぱりリラックスして生きたい人は一定数いるわけで。そういう人のための本です。かなり話題になっているみたいですね!

今回は、こちらの本を読む前と後の自分の考えを記録していきます。

 

まず読書前のぽくぽく記録。

 

すべきこと、すべきでないこと。最近はこれを常に気にしながら生きている人が多いですよね。偏見かな?少なくとも都会に住んでいる日本人はそんな気がします。皆んなせかせか動いて、‘誰か’から遅れを取らないようにあくせくしている、そんな印象です。

書店で平積みされてるビジネス書はわかりやすく現代人からの需要を表しています。効率の良い生き方、生産性の上げ方、仕事で成功する秘訣、タイムマネジメント、習慣の付け方、etc.

そもそも書店に入って真正面に置かれてる本がだいたいビジネス書とか自己啓発書というのも面白いですね。

私もこういった本を読むのは好きですし、自分の課外活動でも勉強でも大いに役立つ情報が満載です。でも、高校生視点だと、そんな生き方100%でやってたら疲れない?壊れちゃうよ!と思います。(実際自分がなりかけたのもありますが。)

皆んながやってるから、仕事で評価されたいから。価値観は人それぞれで良いと思いますが、他者からどう見られるかで自分の存在を認識する考え方が多い。考えの多様性がなく、偏っている感じがします。

それに、仕事での評価や、それまでの過程は自己責任、と考えている人も多いですよね。それが普通は当たり前です。でもそれ以前に、仕事での評価に重きを置く考え方をするか否かも、自己責任じゃないでしょうか?自分の存在意義を他者からの評価に預けるかどうか決めるのは、それをマジョリティとする社会ではなく自分です。

そういう意味で、なんだか偏っているなぁと思うわけです。

 

(読書前感想文がやたら長くなってしまいました、、。)

 

 

さて、「しないことリスト」を拝読後、私にとってとても実りのある価値観が形成されました。

私が鬱になりやすい考え方の持ち主だったのが要因だと思いますが、とても助けになるhow toがたくさんあり、自分の中でしっくりと落ち着く言葉が多かったです。悪く言えば自分の行動を正当化しているのかもしれませんね。

考えたことを2点にまとめます。

①自分のしたいことをしよう

phaさんは日頃から「だるい」と感じることが多いそうですが、「本当にやりたいことや、楽しんでいることに対しては、だるいと感じないものだ」という言葉に、すごく納得してしまいました。たしかに。それな。

生産性や効率を意識して成功しているビジネスパーソンは、それが自分にとって楽しみであるか、周りの評価に関係なく本当に自分のやりたい仕事にありつけた人であるからなのでしょうね。それに、自分の人生に責任を持ちやすくなりそうです。自分がやりたくてやってることだから、誰かのせいにもしたくはならないし、自信にも繋がる気がします。

私は今、自分のしたいことしかしない生活を一ヶ月ぐらい送っているのですが、本当に、鬱が治りますし、希望が見えています。ただポイントは、自由な生活を送ることではなく、それをプレッシャーに感じないことです。きっかけは休学だったので、 最初の二週間は「こんな自分勝手な生活送って、学校も行かない、自分はダメな人間だ」と思って死にかけました。でも色々な本を読んでいくうちに、学校に行く目的・意義について考える機会が増えました。その思考録はまた今度。

結局、将来のための自分の高校生活だと思い、今は楽しく生きています。英語勉強会に行ってみたり、自分が必要だと感じる勉強をしたり、森が好きだからトレイルランに挑戦したり、興味があるからSDGsの活動したり、子供達のためにイベントを企画したり、etc.

生活が成り立つ限り、自分がしたいと思うことだけひたすらやっていこうと思えました。

 

②自分の気持ちを大切にしよう

「ボランティア活動をする人は、誰かの役に立ちたいからからじゃなくて、活動を通して人と会うのが好きとか、何かしら自分のためになる理由から活動してて、でもそういう自分のためっていう理由で何かするのは良いと思う」的な記述がありました。

これには自分が肯定された気持ちになりました。私がボランティア活動をする理由は、「誰かの役に立ちたいから」というのがありますが、その理由は「自分のため」の理由に直接的につながっています。誰かの役に立つことで自分が必要とされていると感じられるし、自己承認欲求や自己満足感を満たせるし、問題解決の能力を育めるし、誰かの笑顔を見ることで、自分がとても元気になれます。

人間、純粋に「他人のため」に頑張ることはほとんどできないんじゃないかなぁ。無条件に「誰かのため」に頑張れる場合は、その誰かが家族だったり愛してる人だからだと思います。

私は母が車椅子利用者であることが理由で、母がSOSを出しやすいアプリを将来開発したいと思っていました。それは母親をただ助けたかったからです。私は幸せなことに母に承認されています。また、アプリを作れても母親の病気は治らないので満足することはありません。よって、これは単純に「母親のため」の気持ちだったのでしょう。ちなみに、何故過去形なのかというと、私が求めているアプリが企業様によって開発されているからです。なので、今はそちらのアプリ開発のお手伝いをさせて頂いています。母や、母のように「外出が嫌だ」と思う人の手助けがしたいのです。でもそれは、母が使えたら嬉しいけれど、他の人に対しては単純に「役に立ちたいから」ではなく、母親に今まで恩返しもできなかったし、手伝えるはずの時に最大限の努力を出来なかったから、その罪滅ぼしでもあります。冷たい考えですよね。そんな不純な理由でも、喜んでくれる人、「ありがとう」と言ってくれる人がたくさんいるのだから、時々なんだか複雑な気分になってしまいます。

凄まじく脱線しましたが、そういう理由でも、自分が楽しめること、必要としてることをし続けるのは、自分を尊重して大切にしていくことと同義なのです。そう考えられるようになりました。仕事や学校であくせくしたり、こんなんじゃダメだとプレッシャーを感じたりしている人は、その仕事や努力が自分が本当にしたいことなのか、必要なことなのか、見極めてみると少しは楽になるかもしれません。大人や学校の世界はもっと複雑なのかもしれませんが、、

 

本当はもっと書きたいことがあったのですが、疲れたのでやめときます。←きっとこういうのもセルフケアであり尊重です。笑 

皆さんもしたいことの理由を考えながら行動してみると、新たな発見があるかも!チャレンジしてみてください!