義務教育を4年間しか受けなかった私が偏差値70の高校に合格した訳
タイトル通り、義務教育期間の半分以上を欠席しまくった私が、なぜ偏差値70の高校に入ることができたのかをお話しします。
目次
何故不登校になったのか
ざっくり言うと、
①家庭内でのストレス
②学校体制が合わない
➂同年代と気が合わない
の3つです。
①家庭内ストレス
我が家は現在幸いにも落ち着いた状態となってきましたが、
私が小中学校にいる間は地獄絵図でした。
家族全員、精神疾患やら不治の病やらを抱え、精神科の先生に「ここまで酷い家庭状況は見たことがない」と言わせしめるほどのブラック家庭。
医療費でお金はない、精神疾患で未来も見えない、職場に行けない、学校にいけない。公私ともに皆ズタボロ。
②学校体制が合わない
元々生真面目で完璧主義な性格であった私にとって、「正解」や「決まった答え」ばかりを求め、間違えることやチャレンジすることを躊躇させる日本らしい学校は重荷でした。
小学校での担任が自分に合わなかったことも不安を増長させました。
勉強でも持ち物でも、間違えるとすぐ叱るタイプの先生が担任となり、心配性をこじらせて通学中の持ち物確認回数は最低5回、宿題を忘れるなどもってのほか、仕上げた上で家族にケチをつけてもらい完璧なものができるまで全力投球。(今は全くない)
この習性がもたらしてくれたポジティブな面も多くありますが、精神的には負担ばかりでしたね。
加えて家庭でのストレスにより神経過敏になり、私が学校で得られるものはまさしくストレスオンリー。
➂同世代と気が合わない
これは18歳となった今でも完全には解消されない問題です笑
同年代の子と共感できる要素が極端に少ないのです。
不登校期に大人とばかり接したことがよりそれを助長させました。
クラスメートよりも、クラスメートのお母さんと話している方が楽しかった。
心理カウンセラーさんに聞いた話によると、
家庭環境が要因で、情緒的成熟度が異様に高く、認知的成熟度が異様に低い。
つまり、精神年齢が高く大抵のことには動じない代わりに人が考えてることを想像できない、ということです。私の場合、大体ネガティブに捉えてしまう癖がついていました。
長くなりましたが、これらの客観的・主観的どちらから見ても精神衛生上よろしくない状況から、ほぼ必然的に不登校となったわけです。
りあんの不登校期間
私が義務教育期間中出席できた時期はとても短く、
小学1年~小学2年の2学期、小学4年の1学期、中学1年~中学2年の2学期、中学3年ちょっとだけ
と、行ったり行かなかったりを繰り返し、合計約4年間通いました。
小学校でクラスメートによく言われた言葉は、「どうせまた来ないんでしょ」
言われるたびに「そんなことないよ」と自分にも言い聞かせるように話していました。
りあんの成績
小学校から辿っていきます。
1~2年の成績はまあまあ。宿題は全部やるけど特別学力が秀でてるわけではない。
この後小学校の成績はほぼ出ていません。成績つけられないからね。。ほんと先生たちに申し訳ない。。
公立中学校入学。
1年:1学期~3学期まで、定期テスト主要5教科学年1位。
2年:同上。
実技系4教科は、体育が基本的に評定は3でした。なぜならバスケットボールを中学校で初めて触るぐらい体育の経験値が低かったから。外で遊ぶことも基本なし。運動音痴の権化。
他は4と5をうろちょろ。
再度不登校になりつつ受験勉強を始める。
3年*3:
春、全国模試偏差値72
夏、駿台模試(難関校受験模試)偏差値62
秋、全国模試5位偏差値7?
冬、全国模試偏差値65
秋以降成績は降下。夏休みに親戚が他界したショックと鬱による不眠症が影響。
高校合格。(偏差値70)
義務教育をまともに受けずに偏差値70まで引き上げられた訳
①読書が好きだった
小学生で不登校になったころ、私が一番好きだったのは読書でした。
やることもないのでずっと本を読んでいました。*4
児童書の主人公って、大抵すごく努力しますよね。その姿がかっこよくて、賢い脇役にも感化されて、自分もこうなりたいと勉強のモチベーションになっていました。
よって、次に好きなことはドリルを何冊もこなすことでした。と言っても、ドリルだけでたどり着けるレベルなんてたかが知れていますから、ほとんどの教科で後れを取っていましたが。それでも、苦手意識がつかなかったのはこの後ずっと功を奏しました。
また、小学校の時期ををほぼ家か図書館で過ごした私にとって、小中学生らしい「遊び」というものへの理解はほぼありませんでした。家族の具合が良い時、街散策に連れて行ってもらうことが私の「遊び」でした。そのような状態で家にいると、勉強以外に誘惑してくるものなどほぼありません。
②地獄家庭が運よくポジティブに影響した
前述のような家庭状況に陥り、精神疾患持ちの親の言葉をまともに受け取ると、自己肯定感が尋常じゃないぐらい下がります。
誰かに評価されたいと強く感じます。
そんな時に両親に頼んでつけてもらった家庭教師の先生や、受験期に通った塾の先生は、親代わりの存在でした。
だって、自分のことを真剣に考えてくれるし、勉強するだけで褒めてくれるし、かまってくれるし。そんな先生たちに、自分の成長を喜んでもらえるのは、もう最高に嬉しいわけです。
言われたこと以上に宿題を進めて褒めろアピールをしていました。
私の学力は家庭教師を始めた小学校4年時点で既に後れを取っていましたが、これを延々と続けた結果、小学6年生になるころに中学生の勉強を始めていました。*5
➂自分の未来に希望を見出した
小学生の頃、家庭教師の先生の話を聞くことは、自分の世界観の狭さを痛感し、モチベーションを高める良いきっかけとなりました。
大学で勉強していたこと、大学院に行こうとしていること、世界旅行での発見、これまでの仕事、これからの仕事、ワクワクなんてものでは収まりませんでした。
自分の知らない世界を知っている先生たちが輝いて見えました。
勉強する目的がちらちら見え始めたのはこのころです。
「海外で勉強したい!」「素敵な高校や大学で学びたい!」「でっかい世界を見るどー!」と、漠然とした夢を持つように。
それまでは夢なんて全くなく、自分には何をやっても無理だと思っていた*6けれど、どうせ叶わなくても、自分にできる限りのことをしようと思うようになりました。
④自分なりに頑張った
さて、親に無理言って教育費をたくさん出してもらっていたわけですが、まあ高くつくわけで、中学校の定期テストからは独学で猛勉強しました。
自分だけで勉強するのって、ペースとか勉強の仕方とか合ってるのかわからなくて不安になります。塾にコンスタントに通い続けられる周りの子たちが羨ましかった。
とりあえず学校の先生に「教科書とワークブックを徹底しなさい」と言われたので学校で配られる教材は全て5周。先生が授業で話していようといまいと資料集の隅から隅まで読みまくる。*7
自分なりにできることを全部し尽して、おかげで塾に入ったと同時に受けた模試で偏差値70を超えられたのだと思います。
①~④は個人的な事例ですが、一般化すると、
「もう自分は無理だ、、」「この先どうしたら良いのやら、、」と思ったら、
目標となる人を見つける
↓
自分を見守ってくれるor肯定してくれる存在を見出す
↓
自分にできることは何かを考え、実行する
というのは、解決策の一つとなるかもしれません。
自分にできるかできないかはやってみないとわからない。
私は、自分の経験で実感しています。
生きているうちに特別何かを成し遂げるべきだとは全く思いませんが、
例えば不登校だからと言って、何かを諦めたり自信を無くす必要は全くありません。
+α.義務教育は必要ない?
ここまでくるとちょっと義務教育を否定しているかのように捉えられるかもしれませんが、そんなことはありません。めちゃくちゃ必要。超大事。
私が義務教育を半分以上受けずにくらったネガティブ要素はいくつかあります。
①同年代とのコミュニケーション能力低下
②運動能力、基礎体力の低下、あるいは身に着かない
➂受験に使用せず、かつ欠席しまくった科目が致命的にできない(幸い少なかった)
④「青春」と呼ばれる思い出が少ない
⑤日本人として知らないなんて恥ずかしいレベルの常識が時たま欠ける
など
①④はカバーのしようがありません。
他の場所で機会を作ることもできますが、学校というコミュニティへの永遠の憧れは残る。少なくとも私はずっと残ると思ってます。
しかし、不登校でも運動習慣がある子や運動好きな子は②は起きませんし、③も自分で勉強すれば平均まで伸ばすことは難くありません。「学校で習ったことなんて忘れてしまった」という人も多いですから。
ただ、「学校で習ったことなんて忘れてしまった」と言っても、⑤は起きないんです。義務教育受けてれば。恥ずかしすぎて例えば、と言えませんが。
不登校の子どもたちへの理解は広まって欲しいし、学校に無理をして行かなくても、可能性なんていくらでもあることを私の話で知ってもらえたらと考えています。
しかし、「学校に行かない」という選択には当たり前のように代償が伴うことも知って欲しいし、「本当に行けない、辛い」という状況でない限り義務教育期間での不登校は視野に入れてはいけないと思うのです。*8
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。不登校に関して悩んでいる方、どうしても消極的になってしまう方がいらっしゃったら、「不登校でもハッピーに生きてる人もいるみたいだよ」と伝えて頂ければ幸いです。
*1:鬱になるのと同じく、不登校も複数の理由が複雑に折り重なり生じるものなので一概に言い表すことはできません。また、不登校の要因が誰しも家庭内トラブルとは限りません。
*2:ちょうど小学校受験前ぐらいから不穏な空気を醸し出していた我が家の状況に、りあんは6歳の頃、元気な性格から消極的な性格に移行していきました。グループで何か作れ、という形式のお受験で見事に全くコミュニケーションが取れなかったことを今でも記憶しています笑
*3:明確に記憶しているものしか書けません、、証明者はすべて断捨離、、ご承知おきを、、
*4:地元の小さい図書館の児童書コーナーの棚をいくつか読みつくしました。
*5:※小学生の時教わっていたのは算数・数学のみ。他は独学で、それについても褒めてアピールをしていた。
*6:小学4,5年生の時と同じことを高校2年の鬱期にもまた思うようになるとは、、
*7:それでも自分の勉強量がどの程度必要量に届いているのかわからず、しかも周りの子との学力の差とか学校行っていないと測れないから、初めての定期テストで「1位おめでとう」と言われて受け取った解答用紙は汗と手の震えでぐっちゃぐちゃになった。そのあとの先生の解説とか全く頭に入ってこなかった。ごめん先生。。
*8:「本当に行けない、辛い」という感情は、本人にしかわかりません。保護者が本人の気持ちや意思に反して「学校行くなんて大して辛くないでしょ」と判断してしまうのは注意すべき点。