鬱回復したからNPOで頑張ってみた

小中高不登校→うつ発症→高校中退→回復→NPOで活動中の18歳が生きてて良かったと思う日々について書いてみた。

義務教育を4年間しか受けなかった私が偏差値70の高校に合格した訳

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こんにちは。元不登校学生のりあんです。

タイトル通り、義務教育期間の半分以上を欠席しまくった私が、なぜ偏差値70の高校に入ることができたのかをお話しします。

 

目次

 

 

 何故不登校になったのか

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まず前提として、不登校となった理由についてです。*1

ざっくり言うと、

①家庭内でのストレス

②学校体制が合わない

➂同年代と気が合わない

の3つです。

 

①家庭内ストレス

我が家は現在幸いにも落ち着いた状態となってきましたが、

私が小中学校にいる間は地獄絵図でした。

家族全員、精神疾患やら不治の病やらを抱え、精神科の先生に「ここまで酷い家庭状況は見たことがない」と言わせしめるほどのブラック家庭。

医療費でお金はない、精神疾患で未来も見えない、職場に行けない、学校にいけない。公私ともに皆ズタボロ。

 

②学校体制が合わない

元々生真面目で完璧主義な性格であった私にとって、「正解」や「決まった答え」ばかりを求め、間違えることやチャレンジすることを躊躇させる日本らしい学校は重荷でした。

小学校での担任が自分に合わなかったことも不安を増長させました。

勉強でも持ち物でも、間違えるとすぐ叱るタイプの先生が担任となり、心配性をこじらせて通学中の持ち物確認回数は最低5回、宿題を忘れるなどもってのほか、仕上げた上で家族にケチをつけてもらい完璧なものができるまで全力投球。(今は全くない)

 

この習性がもたらしてくれたポジティブな面も多くありますが、精神的には負担ばかりでしたね。

加えて家庭でのストレスにより神経過敏になり、私が学校で得られるものはまさしくストレスオンリー。

 

➂同世代と気が合わない

これは18歳となった今でも完全には解消されない問題です笑

同年代の子と共感できる要素が極端に少ないのです。

不登校期に大人とばかり接したことがよりそれを助長させました。

クラスメートよりも、クラスメートのお母さんと話している方が楽しかった。

心理カウンセラーさんに聞いた話によると、

家庭環境が要因で、情緒的成熟度が異様に高く、認知的成熟度が異様に低い。

つまり、精神年齢が高く大抵のことには動じない代わりに人が考えてることを想像できない、ということです。私の場合、大体ネガティブに捉えてしまう癖がついていました。

 

長くなりましたが、これらの客観的・主観的どちらから見ても精神衛生上よろしくない状況から、ほぼ必然的に不登校となったわけです。

 

 

りあん不登校期間

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私が義務教育期間中出席できた時期はとても短く、

小学1年~小学2年の2学期、小学4年の1学期、中学1年~中学2年の2学期、中学3年ちょっとだけ

と、行ったり行かなかったりを繰り返し、合計約4年間通いました。

小学校でクラスメートによく言われた言葉は、「どうせまた来ないんでしょ」

言われるたびに「そんなことないよ」と自分にも言い聞かせるように話していました。

 

 

りあんの成績

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小学校から辿っていきます。

 

まず小学校受験は全落ち。*2公立小学校に通いました。

1~2年の成績はまあまあ。宿題は全部やるけど特別学力が秀でてるわけではない。

この後小学校の成績はほぼ出ていません。成績つけられないからね。。ほんと先生たちに申し訳ない。。

 

公立中学校入学。

1年:1学期~3学期まで、定期テスト主要5教科学年1位。

2年:同上。

実技系4教科は、体育が基本的に評定は3でした。なぜならバスケットボールを中学校で初めて触るぐらい体育の経験値が低かったから。外で遊ぶことも基本なし。運動音痴の権化。

他は4と5をうろちょろ。

 

再度不登校になりつつ受験勉強を始める。

 

3年*3

春、全国模試偏差値72

夏、駿台模試(難関校受験模試)偏差値62 

秋、全国模試5位偏差値7?

冬、全国模試偏差値65

 秋以降成績は降下。夏休みに親戚が他界したショックと鬱による不眠症が影響。

 

高校合格。(偏差値70)

 

 

義務教育をまともに受けずに偏差値70まで引き上げられた訳

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①読書が好きだった

小学生で不登校になったころ、私が一番好きだったのは読書でした。

やることもないのでずっと本を読んでいました。*4

児童書の主人公って、大抵すごく努力しますよね。その姿がかっこよくて、賢い脇役にも感化されて、自分もこうなりたいと勉強のモチベーションになっていました。

 

よって、次に好きなことはドリルを何冊もこなすことでした。と言っても、ドリルだけでたどり着けるレベルなんてたかが知れていますから、ほとんどの教科で後れを取っていましたが。それでも、苦手意識がつかなかったのはこの後ずっと功を奏しました。

 

また、小学校の時期ををほぼ家か図書館で過ごした私にとって、小中学生らしい「遊び」というものへの理解はほぼありませんでした。家族の具合が良い時、街散策に連れて行ってもらうことが私の「遊び」でした。そのような状態で家にいると、勉強以外に誘惑してくるものなどほぼありません。

 

②地獄家庭が運よくポジティブに影響した

前述のような家庭状況に陥り、精神疾患持ちの親の言葉をまともに受け取ると、自己肯定感が尋常じゃないぐらい下がります。

誰かに評価されたいと強く感じます。

そんな時に両親に頼んでつけてもらった家庭教師の先生や、受験期に通った塾の先生は、親代わりの存在でした。

だって、自分のことを真剣に考えてくれるし、勉強するだけで褒めてくれるし、かまってくれるし。そんな先生たちに、自分の成長を喜んでもらえるのは、もう最高に嬉しいわけです。

言われたこと以上に宿題を進めて褒めろアピールをしていました。

私の学力は家庭教師を始めた小学校4年時点で既に後れを取っていましたが、これを延々と続けた結果、小学6年生になるころに中学生の勉強を始めていました。*5

 

➂自分の未来に希望を見出した

 小学生の頃、家庭教師の先生の話を聞くことは、自分の世界観の狭さを痛感し、モチベーションを高める良いきっかけとなりました。

大学で勉強していたこと、大学院に行こうとしていること、世界旅行での発見、これまでの仕事、これからの仕事、ワクワクなんてものでは収まりませんでした。

自分の知らない世界を知っている先生たちが輝いて見えました。

勉強する目的がちらちら見え始めたのはこのころです。

「海外で勉強したい!」「素敵な高校や大学で学びたい!」「でっかい世界を見るどー!」と、漠然とした夢を持つように。

それまでは夢なんて全くなく、自分には何をやっても無理だと思っていた*6けれど、どうせ叶わなくても、自分にできる限りのことをしようと思うようになりました。

 

④自分なりに頑張った

 さて、親に無理言って教育費をたくさん出してもらっていたわけですが、まあ高くつくわけで、中学校の定期テストからは独学で猛勉強しました。

自分だけで勉強するのって、ペースとか勉強の仕方とか合ってるのかわからなくて不安になります。塾にコンスタントに通い続けられる周りの子たちが羨ましかった。

とりあえず学校の先生に「教科書とワークブックを徹底しなさい」と言われたので学校で配られる教材は全て5周。先生が授業で話していようといまいと資料集の隅から隅まで読みまくる。*7

自分なりにできることを全部し尽して、おかげで塾に入ったと同時に受けた模試で偏差値70を超えられたのだと思います。

 

①~④は個人的な事例ですが、一般化すると、

 

「もう自分は無理だ、、」「この先どうしたら良いのやら、、」と思ったら、

 

目標となる人を見つける

自分を見守ってくれるor肯定してくれる存在を見出す

自分にできることは何かを考え、実行する

 

というのは、解決策の一つとなるかもしれません。

自分にできるかできないかはやってみないとわからない。

私は、自分の経験で実感しています。

 

生きているうちに特別何かを成し遂げるべきだとは全く思いませんが、

例えば不登校だからと言って、何かを諦めたり自信を無くす必要は全くありません。

 

 

 +α.義務教育は必要ない?

ここまでくるとちょっと義務教育を否定しているかのように捉えられるかもしれませんが、そんなことはありません。めちゃくちゃ必要。超大事。

 

私が義務教育を半分以上受けずにくらったネガティブ要素はいくつかあります。

①同年代とのコミュニケーション能力低下

②運動能力、基礎体力の低下、あるいは身に着かない

➂受験に使用せず、かつ欠席しまくった科目が致命的にできない(幸い少なかった)

④「青春」と呼ばれる思い出が少ない

⑤日本人として知らないなんて恥ずかしいレベルの常識が時たま欠ける

など

 

①④はカバーのしようがありません。

他の場所で機会を作ることもできますが、学校というコミュニティへの永遠の憧れは残る。少なくとも私はずっと残ると思ってます。

しかし、不登校でも運動習慣がある子や運動好きな子は②は起きませんし、③も自分で勉強すれば平均まで伸ばすことは難くありません。「学校で習ったことなんて忘れてしまった」という人も多いですから。

 

ただ、「学校で習ったことなんて忘れてしまった」と言っても、⑤は起きないんです。義務教育受けてれば。恥ずかしすぎて例えば、と言えませんが。

 

不登校の子どもたちへの理解は広まって欲しいし、学校に無理をして行かなくても、可能性なんていくらでもあることを私の話で知ってもらえたらと考えています。

しかし、「学校に行かない」という選択には当たり前のように代償が伴うことも知って欲しいし、「本当に行けない、辛い」という状況でない限り義務教育期間での不登校は視野に入れてはいけないと思うのです。*8

 

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。不登校に関して悩んでいる方、どうしても消極的になってしまう方がいらっしゃったら、「不登校でもハッピーに生きてる人もいるみたいだよ」と伝えて頂ければ幸いです。

*1:鬱になるのと同じく、不登校も複数の理由が複雑に折り重なり生じるものなので一概に言い表すことはできません。また、不登校の要因が誰しも家庭内トラブルとは限りません。

*2:ちょうど小学校受験前ぐらいから不穏な空気を醸し出していた我が家の状況に、りあんは6歳の頃、元気な性格から消極的な性格に移行していきました。グループで何か作れ、という形式のお受験で見事に全くコミュニケーションが取れなかったことを今でも記憶しています笑

*3:明確に記憶しているものしか書けません、、証明者はすべて断捨離、、ご承知おきを、、

*4:地元の小さい図書館の児童書コーナーの棚をいくつか読みつくしました。

*5:※小学生の時教わっていたのは算数・数学のみ。他は独学で、それについても褒めてアピールをしていた。

*6:小学4,5年生の時と同じことを高校2年の鬱期にもまた思うようになるとは、、

*7:それでも自分の勉強量がどの程度必要量に届いているのかわからず、しかも周りの子との学力の差とか学校行っていないと測れないから、初めての定期テストで「1位おめでとう」と言われて受け取った解答用紙は汗と手の震えでぐっちゃぐちゃになった。そのあとの先生の解説とか全く頭に入ってこなかった。ごめん先生。。

*8:「本当に行けない、辛い」という感情は、本人にしかわかりません。保護者が本人の気持ちや意思に反して「学校行くなんて大して辛くないでしょ」と判断してしまうのは注意すべき点。

ぽくぽく頑張るアルバイト

仕事をしているときに一番楽しいことは何ですか?

どこかで学んだノウハウを実践できること、お客さんと話すこと、コツコツとした事務処理、同僚との休憩時間(...仕事中?まあいいか)、企画を考えること。

私は飲食店でアルバイトをしていますが、一番楽しみを感じたり、好きだなぁと思う瞬間は、お客さんから笑顔をもらえた時です。こちらが笑顔でお伺いしたときに、「ありがとう」「美味しかったです」と笑顔を向けてもらえたとき、自分が作った料理でなくても至福の喜びを感じます。本当に「良かったなぁ」という感じ。言葉がなくても、ちょっと微笑んでもらえただけで、くつろげるお店作りができていて、自分の接客が居心地よさを感じてもらえて(言い過ぎ?)いるのだなと思って嬉しいです。

飲食従業者なら、喜んでもらえる空間をつくれた一人として誇りをもてる瞬間ですよね。ちょっと大げさかもしれないけど。

 

「女子ってかっこいい男と働けると嬉しいとか思うの?男なんて皆可愛い女の子と働ければなんでもいいと思ってるからさぁ」と上司に言われたことがあります。半分冗談だったとは思いますが。「可愛い子と働けるとなんちゃらかんちゃら...」という話はよく聞きますし、バイトだと珍しくないのかもしれません。

主な理由ではなくても、魅力的な人と一緒に働くのも仕事の楽しみである人は多いのでしょうか?私は仕事の時は仕事のことだけ考えていたい人なのでよくわからないです笑 同年代の女の子だと、ただお金を貯めてくのが楽しいって子もいたので、仕事自体に楽しみを見出している人がマジョリティとは限りませんね。

私が今のバイト先を選んだ理由は、一日ボランティアで出会った大学生の方から「ここでバイトしてすごく勉強になった!」と聞いたからです。やっぱり新しい出会いって大切ですね。小さくても大きくても人生変わります。

脱線しましたが、思考録なのでお許しください。

とりあえず今回書きたいなと思っていたことは、

仕事のやりがいって多様性があって面白い。笑顔のパワーすごい。

の二本でした。

まあ気楽に皆さんも「仕事のこういう所が楽しい!」と考えてみてください。パワハラ、セクハラとかがあるんじゃない限り、仕事行きやすくなるんじゃないかな。

「すること」をぽくぽく見極める

先日、pha(ファ)さんの「しないことリスト」を拝読いたしました。

 

しないことリスト (だいわ文庫)

しないことリスト (だいわ文庫)

 

 

個人的に、日本(の都会)は忙しいことを推奨するような風潮が強すぎると思うのですが、やっぱりリラックスして生きたい人は一定数いるわけで。そういう人のための本です。かなり話題になっているみたいですね!

今回は、こちらの本を読む前と後の自分の考えを記録していきます。

 

まず読書前のぽくぽく記録。

 

すべきこと、すべきでないこと。最近はこれを常に気にしながら生きている人が多いですよね。偏見かな?少なくとも都会に住んでいる日本人はそんな気がします。皆んなせかせか動いて、‘誰か’から遅れを取らないようにあくせくしている、そんな印象です。

書店で平積みされてるビジネス書はわかりやすく現代人からの需要を表しています。効率の良い生き方、生産性の上げ方、仕事で成功する秘訣、タイムマネジメント、習慣の付け方、etc.

そもそも書店に入って真正面に置かれてる本がだいたいビジネス書とか自己啓発書というのも面白いですね。

私もこういった本を読むのは好きですし、自分の課外活動でも勉強でも大いに役立つ情報が満載です。でも、高校生視点だと、そんな生き方100%でやってたら疲れない?壊れちゃうよ!と思います。(実際自分がなりかけたのもありますが。)

皆んながやってるから、仕事で評価されたいから。価値観は人それぞれで良いと思いますが、他者からどう見られるかで自分の存在を認識する考え方が多い。考えの多様性がなく、偏っている感じがします。

それに、仕事での評価や、それまでの過程は自己責任、と考えている人も多いですよね。それが普通は当たり前です。でもそれ以前に、仕事での評価に重きを置く考え方をするか否かも、自己責任じゃないでしょうか?自分の存在意義を他者からの評価に預けるかどうか決めるのは、それをマジョリティとする社会ではなく自分です。

そういう意味で、なんだか偏っているなぁと思うわけです。

 

(読書前感想文がやたら長くなってしまいました、、。)

 

 

さて、「しないことリスト」を拝読後、私にとってとても実りのある価値観が形成されました。

私が鬱になりやすい考え方の持ち主だったのが要因だと思いますが、とても助けになるhow toがたくさんあり、自分の中でしっくりと落ち着く言葉が多かったです。悪く言えば自分の行動を正当化しているのかもしれませんね。

考えたことを2点にまとめます。

①自分のしたいことをしよう

phaさんは日頃から「だるい」と感じることが多いそうですが、「本当にやりたいことや、楽しんでいることに対しては、だるいと感じないものだ」という言葉に、すごく納得してしまいました。たしかに。それな。

生産性や効率を意識して成功しているビジネスパーソンは、それが自分にとって楽しみであるか、周りの評価に関係なく本当に自分のやりたい仕事にありつけた人であるからなのでしょうね。それに、自分の人生に責任を持ちやすくなりそうです。自分がやりたくてやってることだから、誰かのせいにもしたくはならないし、自信にも繋がる気がします。

私は今、自分のしたいことしかしない生活を一ヶ月ぐらい送っているのですが、本当に、鬱が治りますし、希望が見えています。ただポイントは、自由な生活を送ることではなく、それをプレッシャーに感じないことです。きっかけは休学だったので、 最初の二週間は「こんな自分勝手な生活送って、学校も行かない、自分はダメな人間だ」と思って死にかけました。でも色々な本を読んでいくうちに、学校に行く目的・意義について考える機会が増えました。その思考録はまた今度。

結局、将来のための自分の高校生活だと思い、今は楽しく生きています。英語勉強会に行ってみたり、自分が必要だと感じる勉強をしたり、森が好きだからトレイルランに挑戦したり、興味があるからSDGsの活動したり、子供達のためにイベントを企画したり、etc.

生活が成り立つ限り、自分がしたいと思うことだけひたすらやっていこうと思えました。

 

②自分の気持ちを大切にしよう

「ボランティア活動をする人は、誰かの役に立ちたいからからじゃなくて、活動を通して人と会うのが好きとか、何かしら自分のためになる理由から活動してて、でもそういう自分のためっていう理由で何かするのは良いと思う」的な記述がありました。

これには自分が肯定された気持ちになりました。私がボランティア活動をする理由は、「誰かの役に立ちたいから」というのがありますが、その理由は「自分のため」の理由に直接的につながっています。誰かの役に立つことで自分が必要とされていると感じられるし、自己承認欲求や自己満足感を満たせるし、問題解決の能力を育めるし、誰かの笑顔を見ることで、自分がとても元気になれます。

人間、純粋に「他人のため」に頑張ることはほとんどできないんじゃないかなぁ。無条件に「誰かのため」に頑張れる場合は、その誰かが家族だったり愛してる人だからだと思います。

私は母が車椅子利用者であることが理由で、母がSOSを出しやすいアプリを将来開発したいと思っていました。それは母親をただ助けたかったからです。私は幸せなことに母に承認されています。また、アプリを作れても母親の病気は治らないので満足することはありません。よって、これは単純に「母親のため」の気持ちだったのでしょう。ちなみに、何故過去形なのかというと、私が求めているアプリが企業様によって開発されているからです。なので、今はそちらのアプリ開発のお手伝いをさせて頂いています。母や、母のように「外出が嫌だ」と思う人の手助けがしたいのです。でもそれは、母が使えたら嬉しいけれど、他の人に対しては単純に「役に立ちたいから」ではなく、母親に今まで恩返しもできなかったし、手伝えるはずの時に最大限の努力を出来なかったから、その罪滅ぼしでもあります。冷たい考えですよね。そんな不純な理由でも、喜んでくれる人、「ありがとう」と言ってくれる人がたくさんいるのだから、時々なんだか複雑な気分になってしまいます。

凄まじく脱線しましたが、そういう理由でも、自分が楽しめること、必要としてることをし続けるのは、自分を尊重して大切にしていくことと同義なのです。そう考えられるようになりました。仕事や学校であくせくしたり、こんなんじゃダメだとプレッシャーを感じたりしている人は、その仕事や努力が自分が本当にしたいことなのか、必要なことなのか、見極めてみると少しは楽になるかもしれません。大人や学校の世界はもっと複雑なのかもしれませんが、、

 

本当はもっと書きたいことがあったのですが、疲れたのでやめときます。←きっとこういうのもセルフケアであり尊重です。笑 

皆さんもしたいことの理由を考えながら行動してみると、新たな発見があるかも!チャレンジしてみてください!

ぽくぽく考える、理想のSDGs教材

SDGsを学生たちに広めるソリューション、SDGs推進教材。

 

前回、SDGs がいかに日本に浸透していないか、問題意識と、個人的なもったいない感について書きました。

そして推進のために、NPO法人の方々、教員の先生方に微力ながらお手伝いというか、アイデア出しをしております。すごく楽しい、、

 

先に、SDGsをやたら推進し始めた経緯についても少し書こうと思います。

SDGsのキャッチフレーズは、No one will be left behind.

「誰一人として取り残さない」世界を作る。

これは例えば、女性・LGBTQ、子供、貧困層、失業者などなどの現在社会的弱者となってしまっている人たちを弱者としない・作らない。世界のすべての人たちが平和で健康で豊かな暮らしを持続できるよう開発することです。

 

私は、これってすごく大変なことだと思います。なぜなら、地球上にどれだけ社会的弱者となってしまう人がいるのか、知った瞬間、自分にできることなんてないんじゃないかと思ったし、自分の存在をよりちっぽけに感じたからです。

それでも私が今活動しているのは、何かできることは必ずあるとわかったからです。誰かの困難を小さなアイデアやアクションで変えられるからです。

それに、このキャッチフレーズで、助けられる側にも自分がいるのです。だからやる気が出る。私は面前DVのような家庭環境で育ちました。トラウマちゃんとずっと一緒で、自己肯定感という言葉が人生の中で最も遠い存在のように感じられます。だからこそ、人より精神的障がいがあること、弱い人間であること、それらを理由に置いていかないでほしいときっと望んでいるのでしょう。自分が取り残されたくないから、自分が手を引っ張ってもらえたら嬉しいから、自分がしてほしいことを人・社会にしていきたい。その思いが強くなったことは、トラウマちゃんと抑うつ君に感謝せねば。

 

さてさて、そうして始めたSDGs教材づくり。始めたというか、誘われてお手伝いさせていただいてるだけですが。

どんな教材が授業に使ってもらえるのか。生徒の関心を引き付けるポイントは何か。生徒の理解度を高め、行動に繋げさせるには何が有効か。

悩みどころが多すぎて、かなりもやもやとした会議が続いています。

 

私としては、まず教材を作る目的として、

①生徒に考えるだけではなく行動させる

②世界の様々な問題を自分ごとにさせる

ということに重きを置きたい。

考えただけで終わってしまえば何も変えられない、世界の諸事情を自分には関係のないことと捉えていては関心もやる気もわかないと思うからです。

現に、この2ステップを踏んで私たちボランティアはアクションしています。

でもその段階を踏んだ学生の経緯は人それぞれだし、興味のない子にも「発見・思考・行動」の重要性や面白みを伝えるにはどうしたらいいのか、考え物です。そもそも全国の先生方に授業で使ってもらうには、授業にどのように取り入れられるかを提示しアピールする必要もあります。授業構成、教材構成、コンテンツ、コンセプト、、全てを理想的な形にするにはどうするべきか、そもそも理想的形とは何か。

熱意ある先生方と生徒の話し合いではアイデアは出てもなかなかまとまらず。

ブレストから脱却して枠組みだけでも決めてしまいたいなぁ。

SDGs、ぽくぽく考えよう

SDGsを知っている日本人はどれだけいるのだろう。

Sustainable Development Goals、持続可能な社会の実現のために、国連が掲げている17個の目標です。

 

最近では、企業の中にもSDGsを扱ったプロジェクトを行う部署ができたり、社会貢献としてアピールしたりもしているようですが、、

 

しかし、個人的には、日本のメディアではまだ十分に取り上げられていないなぁと思います。普段から世界情勢や社会活動に興味がある人にはいくらでも届くけど(ナショジオニューズウィークなどで)、関心がそこまでの人にはあまり届いていない。浸透率が低いことを問題視する記事も見かけます。日本は政治についても環境についても、世界的に関心が低い国で有名ですから、メディアも取り上げてもニーズがないと考えているのかもしれませんね。

社会活動しているからと言ってよく知られているわけでもないようです。私はローカルな地域活動もしていたので、そこのNPO団体の懇親会で出会う大人の方々とお話しさせて頂くこともありますが、「??」という顔をよくされます。

授業などで触れる機会のありそうな周りの高校生(ボランティア以外)の認知度も高いとは言えません。私の通う高校では全くと言っていいほど扱われません。でも、ボランティアで活動する際に他校の先生方にお世話になっているのですが、そちらの授業では大いに取り上げているみたいです。しかも授業が超面白そう。最近の教育の現場って、先生によってはかなりの変貌を遂げています。

素敵なことに、そういった良い先生たちの努力が実って、生徒たちの理解度・満足度は急上昇、そしてその授業の良さを、実体験した生徒たちが大人に向かって発信しています。それについてはまた今度記事を書きますのでご割愛。

 

脱線しましたが、言いたいことは一つだけ。

 

 

単純に、世界に対してあまり敏感でない日本がちょっと心配なのもありますが、

 

それよりもなによりも、

 

もったいない!!

 

もっったいない!!!

 

 

SDGsって、当たり前ですが17個もあるので、すごーーーーく幅広くて、世の中の誰にでも関係する事柄なんです。世界的に動いていることなので、開催される関連イベントのクオリティは高いし、広めようと頑張ってる人たちの開発したゲームもめっちゃ面白い。

身近なことから貢献できる、小さなアイデアが世界を大きく動かす、昨今の知的好奇心の強い日本人にとってはすごくワクワクするものだと思います。

 

なのに、

 

来ないんや、

 

ご新規が!!!

 

 

イベントには既にSDGsをよく知っている人、行動している人が多く出席します。

スーパー興味津々な人が行動するモチベーションにはなるから良いのだけど、、

もったいない!!!

 

できるだけ興味のない人にも知ってもらいたい、行動することの楽しさを共有したい、特にこれからの地域社会を担っていく私と同じ世代の人たちに!

というわけで、企業様も交えたワークショップを企画したり、SDGs推進教材を色んな人と作っている今日この頃です。

今日も会議、行ってきます!

ぽくぽく女学生、ブログ始めました。

はじめまして、ぽくぽく女学生です。

 

良くも悪くも、ぽくぽく考え続けるのが好きです。

 

そのせいか、抑うつ君やトラウマちゃんとも長年(そんなに生きてないけど)お友達です。

現在はドクターストップを受けて、高校を休学したりしなかったり。

 

そんな悪友達と一緒に、日々自分の考えたことを記録していきます。抑うつ君がいるからって、暗~い内容を書いたりはしませんよ!(たぶん)

日常で行っているボランティア活動や読書、あるいは新しい療養方法や体験、それらを通して思考したことを書きます。何か良いことがあった時も、悪友に見せつけるために書き残します。

 

どうして変な友達との考え事を書こうと思ったか。

悪友達との経験は、おそらく普通より風変わりで、私の頭の中には、他の人とはちょっと違う考えもあるのではないかと思うのです。

世の中には色んな人がいるもんだなぁと新鮮味を感じる機会になったらと。

「ネガティブかよ!」「なにその考え!」と思われることもあるかもしれませんが、こんな風に考えてるやつもいるんだなぁと思って読んで頂けたら幸いです。「割と普通!」だったりして(笑)

自分にとっては、大人になってから、「こんなこと考えてたんだ私!」「そういえばあんな友達いたな~」と思いたい。そうなれるまでは書き続けたい!

 

そんな思考録です。お友達と一緒に頑張ります!